大河 『真田丸』 第18話「上洛」の名言・感想/第19話注目ポイント
2016/05/14

この記事では、NHK大河ドラマ『真田丸』について、名言・名セリフや感想を書いています。
※ネタバレを含みますので、未視聴の方はご注意ください。
前回の記事 大河 『真田丸』 第17話「再会」の名言・感想/第18話注目ポイント もどうぞ!
名言・名セリフで名場面を振り返る
『真田丸』第18話「上洛」
(放送日:5月8日/再放送:5月14日)
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利休様、お聞きしたい事がございます。
人は、何かひどく哀しい目に遭った時、それまでの事を全て忘れてしまう事など、あるのでしょうか?
そして、別人として生きていく事ができるのでしょうか?
そうでんなあ……。 人の心は謎。
源次郎殿、手前は何でも知ってる訳ではない。 そないな事、聞かれても分からしまへん。
拒めば関白殿下は全力でこの上田に攻め込んできましょう。
上杉の顔を潰さぬようにお願いしたい。 真田のため、そして上杉のためにも、一日も早い上洛を。
大名か死か。 取るべき道は明らかでござろう。
御屋形様は関白殿下に対し、真田を許すようとりなしておられる。
どうすればよいものやら……。
わしには領地を守り抜く務めがござる。 そのためには大名になるしかありません。
しかし、それは秀吉に従うという事。 死に物狂いで戦ってきた果てに、武田に縁もゆかりもない男の家来になるというのでは……。
これでは割に合いません。
ではこうしましょう。 うそでもいいから、頭を下げなさい。
強い者に従う。 真田はこうやって生き延びてきた。
下手に出て牙を隠して爪を隠して、この先、秀吉の勢いに陰りが見えたら、寝首を掻く。
卑怯者で何が悪い! ん?
お藤さんを引き取ってもらえるなら、こんなにうれしい事はありません。
実は手を焼いていたんです。 あんなに踊りの下手な子は初めて。
ただ手足をぶらぶらさせているだけで、どうにも気持ちが悪い。
人気なんて全くありませんよ。
寧! 寧はいるか!? 決まったぞ、太政大臣! 太政大臣!
信長公もなれなかった太政大臣じゃ! わしはついにあのお方を超えたんじゃ!
かの源頼朝も征夷大将軍にはなったが、太政大臣になれなかった!
日の本の大名をまとめていくには、どうしても高い官位がいるんじゃ。
天下平定がなれば、いずれ天子様にお返しするつもりだ。
そういえば、お前の親父が来るぞ。
ようやく書状が届いた。 早く頭下げておけばよかったものを。
随分とまた、でかいものを造りおったな。
お前なら、どう攻める?
城はのう、大きければ攻めにくいというものではない。 むしろ大きいと守りの手薄な場所が必ず出来る。 それを見つける。
城周りの絵図面が欲しいのう。
上洛する時は連れて行くとおっしゃったのに!
ひと言、言って下さってもよいではありませぬか。 私が草津に湯治に行っている隙に行ってしまわなくても。
上田城で僅か2,000の兵で7,000の徳川を迎え撃ったご武略。 楠木正成の再来ともいわれるそのご尊顔、一度拝したく思っておりました。
関白太政大臣 豊臣秀吉である。
真田安房守昌幸。 此度の上洛、まっこと大儀であった。
わしは誰よりもそなたを家臣にしたいと思っておったぞ。 その知略と度胸、豊臣の大名として、これからはわしのために使うてくれ。
頼りにしておるぞ、安房守。
殿下はこれより、新しき世の仕組みをお作りになられる。 惣無事令もその一つ。 もちろん存じておるな。
しかしながら、万一、戦となった時、誰が誰に従って軍勢を動かすか、そこだけははっきりとしておかねばならぬ。
大名はそれぞれ最寄りの大大名の与力となり、出陣の時はその下知に従う。 よろしいか?
安房守殿は、徳川の与力となるように。
関白殿も味な事をしてくれるのう。
真田安房守がわしの前で頭を下げる日が来るとはな。 それも、こんなに早く。
フフフフフ……。 ハハハハハハ!
面白いのう……。 人の世というものは……。
武田が滅んでから今日まで、裏切り、裏切られ、己の全てを懸け、知力の限りを尽くして戦った。
そのあげく、たどりついたのは、秀吉の家来となった徳川の、そのまた家来。
こんなに面白い事があるか。
面を上げられよ、安房守殿。
武勇名高き真田安房守殿が我らにお味方下されば万人力でござる。 よろしくお頼み申し上げる。
これからは共に力を合わせてまいりましょう。
ハハハハハハ! アハハハハ!
あらすじ 第18回「上洛」|NHK大河ドラマ『真田丸』
『真田丸』 第18話「上洛」(5月8日放送)の感想
今回の真田丸はサブタイトル「上洛」の通り、真田昌幸と信幸の父子が大坂へ向かい、信繁と久々の再開を果たします。
※本来は「上洛」とは、京の都へ行くことを指しますが、ドラマでは便宜的に大坂の秀吉の元へ参上することをそのように呼んでいます。
冒頭は、上田城での昌幸と信幸の会話から。
ようやく源次郎信繁の書状が上田に届いたということで、きっと石田三成の検閲にひっかからないような内容でまとめたのでしょうね。
その内容とは、「秀吉は真田を大名に取り立てるつもりである」というものでした。
さらには、上杉家の重臣・直江兼続も真田家を訪れて、上洛するように説得をします。
「相手のことを考えているようで、最後は上杉家の利を強調する」という、兼続のツンデレ話法は相変わらずでしたね。
そして、いよいよ決断を迫られた真田昌幸は、母である とりの肩を揉みながらボヤくことに。
(このあたりは、「母の日」に放送されることを意識した演出なのでしょうか?)
そこで返ってきた言葉は、さすがのおばば様、といったところ。
「卑怯者で何が悪い!」という言葉には、昌幸の父・真田幸綱(幸隆)の頃からの真田家を見続けてきた、とり ならではの覚悟を感じさせます。
その言葉で踏ん切りがついた昌幸は、源三郎と共に上洛することを決めます。
(大叔父上・矢沢頼綱は、会議の場で相変わらず駄々をコネてあしらわれていました)
一方、前回から再登場した姉上・松?の お藤は、まだ記憶を取り戻していない様子。
自分では踊りが上手いと思っていましたが出雲阿国の評価は散々で、信繁が引き受けたいとの申し出にも「こんなにうれしい事はありません」と言われる始末。
兎にも角にも、信繁の屋敷で一旦引き取り、きりと共に、秀吉の妻・寧に仕えることになります。
そこに現れたのが秀吉。
大声で「太政大臣(だいじょうだいじん)」の官位を得たことを寧に報告したかと思えば、次の瞬間には茶々に向かって「さほどうれしゅうはない」と言い放つ変わり身の早さ。
これも、相手によって言い方を変えるという、秀吉ならではの一流の「人たらし」術なのでしょう。
シーンは変わって、大坂へ向かう直前の昌幸と、出浦昌相の会話。
昌相のセリフ「何ならわしが、明智光秀になっても構わぬぞ。」は、冗談とも本気ともつかない不気味な感じがさすがですね。
ついに大坂へ到着した昌幸と信幸は、久しぶりの源次郎との再会を喜びますが、その宿所は大坂城内ではなく、その近隣の古びた寺という格下扱い。
気を悪くした2人のために信繁は石田三成に掛け合いますが、当然そんな訴えを聞いてくれる三成ではありません。
さすがに手ぶらで戻るのが悪いと思った信繁が仕込んだ策が、吉野太夫を招いての宴席でした。
もちろん昌幸・信幸に対しては「秀吉からのもてなし」ということにしていますが、支払いが三成へ行かないように釘を刺すなど、信繁が大坂で覚えた?根回し術で奔走します。
その後、父・昌幸がトイレに行った後の兄弟の会話が印象的でした。
「戦場で暴れまくる日は、もう来ない」という言葉から、温厚そうに見える兄・源三郎信幸にも戦国武将としての矜持があることを示したシーンでしたね。
秀吉との会見を前に、貢物のチェックをしていると、そこに現れたのが石田三成と片桐且元のコンビです。
三成も悪気がある訳ではなく、「どうしたら秀吉にはもっとも効果的か?」という目線でアドバイスをしてくれているのですが、「色味が悪い」「臭い」などストレート過ぎる物の言い方は切れ味が抜群でした。
そんなこんなで、ようやく秀吉との会見! ……かと思いきや、そこに現れたのは、いかにも「代理」な、秀吉の甥・秀次でした。
肩透かしをくらった昌幸と憤慨する信幸。
あくまで秀吉との会見を望む信幸は、信繁に対して石田三成と交渉するように要望します。
(タイミングよく大谷吉継が現れて、昌幸と会えたことを喜んでくれたお陰で、昌幸のご機嫌は少し良くなったようでした)
さて、信繁が三成に相談をするかと言えば、どう考えても無理筋だと判断したのでしょう、茶々様を使うという「奥の手」に頼ることに。
信繁の頼みを聞いてくれた茶々様ではありますが、「その代わり、私の頼みも聞いてくれますか?」の頼みは今回は登場せず。
これは、次回以降で大きな代償を払うことになりそうな予感がしますね……。
そんな茶々の手助けもあり、信繁は秀吉へ、直談判する機会を得ます。
秀吉の「わしを恫喝するか。」に対して、堂々と「恫喝しております。」と返した信繁。
その結果として、秀吉が自ら昌幸と改めて会ってくれることとなります。
会見の場に現れた秀吉が身にまとっていたのは、真田家の貢物に入っていた熊と猪の毛皮でした。
秀吉が昌幸に対して掛けた言葉は「わしは誰よりもそなたを家臣にしたいと思っておった」という、有難いもの。
……が、そんな「アメ」だけで終わる訳はないのが、秀吉。
真田家に対して突きつけた「ムチ」は、今後徳川家の指示に従って軍事行動を取るように、という「徳川家の与力(よりき)」となる命令でした。
そのことを書状で知った駿府の徳川家康と本多正信は、笑いが止まりません。
結局、真田家の上洛ですら、秀吉が家康を懐柔するための「手駒」として使われてしまった訳ですね。
そんな結果となってしまった事に意気消沈する昌幸は、息子2人を相手に「わしはどこで間違った」と繰り返す有様。
ここで信繁は姉上・松?を呼んできます。
織田家の人質となった後、本能寺の変の騒乱の最中で死んだと思っていた松が生きていたことに歓喜する昌幸と信幸。
しかし、それでも松の記憶は戻りません。
そこで信繁の発案で始まったのが、松の思い出話を順番に話すゲームです。
ところが、出てくるエピソードは、「父の背中で小便」「沢ガニに鼻を挟ませる」「高い木の上で男を物色」「干からびた蛙をプレゼント」など、思い出話というよりは悪口大会のような様相に。
結局、これでは松の記憶が戻ることはありませんでした。
今回、松の記憶が戻ることはないのか……と視聴者の誰もが思った次の瞬間。
きりのどうでもいい「カサカサ」のつぶやきに、松が反応します。
そこで思い出されたのが4話の回想シーン。
武田家の滅亡後、真田家では裏切り者扱いとなった松の夫・小山田茂誠が隠れているのに勘付いた信幸を撹乱するために、即興で松・きり・梅の3人が始めた女子回トークの場面でした。
まさか、このシーンが伏線になっていたと気づいた視聴者は誰もいなかったでしょう。
そもそも、「脚本を書いた三谷幸喜さんも後付で考えたのでは……?」と思うような展開。
日本中の「かかと で思い出すのかよ!」というツッコミが聞こえてくるようでした。
最後の場面は、駿府城で、真田昌幸が徳川家康に挨拶するシーン。
お互いに、過去の遺恨を感じさせないような「表面的」なやり取りがありましたが、最後の最後で徳川家康が高笑いをすることで、「勝利宣言」をしたような形となってしまいましたね。
ただし、史実を鑑みれば、ここで真田家が徳川家の与力となったことが、江戸時代以降に真田家が生き残るためのターニングポイントでもあったし、真田信繁が大坂城で活躍するためのターニングポイントであったとも言えるのではないでしょうか。
次回『真田丸』 第19話「恋路」(5月15日放送予定)の注目ポイントは?
次回のサブタイトルは「恋路」ということで、「男と女」がテーマとなりそうですね。
まずは、「信繁×茶々」の”禁断の恋”です。
秀吉の怒りに触れれば死罪、と頭では分かっていながらも、茶々に惹かれていく信繁を視聴者はハラハラしながら見守ることになりそうです。
ということで、次は「秀吉×茶々」です。
秀吉の茶々に対する好意はこれまでも描かれてきましたが、一方で、これまであまり描かれて来なかった「茶々の秀吉に対する想い」も見えてくるのでしょうか?
さて、忘れてはいけないのが、「秀吉×寧」です。
「どうすれば茶々を側室にできるか」というデリカシーのない秀吉の相談に対して、寧がどのような表情で、どのような回答をするのかというのも次回の見所の一つと言えるでしょう。
最後は、「信幸×稲」です。
既に「こう」という正室がいる真田信幸と、本多忠勝の娘であり、真田家を敵対視している稲の政略結婚。
どう考えても穏やかに事が運ぶとは思えません。
2人が初めて出会うシーンで、大泉洋さんと吉田羊さんの「洋・羊」コンビが、どのように息の合った(息を合わせない?)演技を見せてくれるのか、今から楽しみですね。
あらすじ 第19回「恋路」|NHK大河ドラマ『真田丸』
追記1. 第18話「上洛」の視聴率は19.1%
2016年5月8日に放送された「真田丸」第18話「上洛」の視聴率は、前回第17話「再会」の17.0%を2.1%上回る19.1%だったことがビデオリサーチ調べで分かったそうです。
これは「真田丸」開始以来、第3位の視聴率ということで、「大坂編」に入ってからドラマ開始当初の勢いを取り戻してきましたね。
追記2. 真田信繁と大坂の陣を共に戦った「毛利勝永」役が岡本健一さんに決定!
NHK公式サイトによると、堺雅人さん演じる真田信繁と大坂冬の陣・夏の陣で共に戦った毛利勝永(もうりかつなが)のキャストが、ミュージシャン・俳優の岡本健一(おかもとけんいち)さんに決定したそうです。
ニュース 毛利勝永役は、岡本健一さんに決定!|NHK大河ドラマ『真田丸』
岡本健一さんはジャニーズ事務所所属で、元・男闘呼組(おとこぐみ)のメンバーであり、息子の岡本圭人さんが「Hey! Say! JUMP」のメンバーであることでも知られています。
毛利勝永(もうりかつなが)は、父・森吉成と共に羽柴秀吉に仕えた武将であり、最初は「森吉政」と名乗っていました。
姓を「森(もり)」から「毛利(もうり)」に改めたのは秀吉の発案によるものであり、毛利元就の一族ではありません。
関ヶ原の戦いでは西軍についたため、戦後の所領を没収されてしまい、加藤清正や山内一豊など、かつての同僚であった大名にその身柄は預けられることになります。
その後、1614年に豊臣秀頼の招きを受けて大坂城へ入城すると、大坂冬の陣では真田信繁と共に城外へ出兵する策を進言しますが受け入れられず、籠城戦を戦うことになります。
大阪夏の陣では、徳川家康の本陣へ突入するという活躍を見せ、真田信繁隊が壊滅した後も大阪城内への撤退に成功し、最後は豊臣秀頼と共に切腹したと伝わっています。
大坂冬の陣・夏の陣では、大坂方の武将として、真田信繁/毛利勝永の他に、後藤又兵衛(ごとうまたべえ)/長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)/明石全登(あかしたけのり・ぜんとう)を合わせた5人が「大坂牢人(浪人)五人衆」として知られています。
現時点では後藤又兵衛役を哀川翔さんが演じることが決定していますが、残りの長宗我部盛親/明石全登のキャストが誰になるのか楽しみですね!