上司を『使えない』エンジニアへ送る五島慶太の名言

上司が「使えない」のは、あなたが「使わない」から!?
あなたは、社員100人程の中堅SIerで、プロジェクトリーダーとして、自社開発の販売管理パッケージをカスタマイズして顧客へ導入する業務を担当しています。
これまでに担当してきた顧客は自社と同規模の中小企業ばかりでしたが、今回の案件は一部上場の大手食品メーカーK社です。
(なぜウチのような会社が、大手の案件を受注できたのか……?)
それは、S社長の「コネ」でした。
S社長と、顧客であるK社のCIOであるYさんは、15年程前まで同じ企業で働いていており、その人脈を活用して案件を獲得したとのこと。
ですから、この案件は社内で「社長案件」という別名がついており、あなたは「これは絶対に失敗できない」とプレッシャーを感じているのでした。
しかし、この案件は今まで経験してきたプロジェクトと大きく異なる点がありました。
それは「販売管理システムを利用する営業部門と直接やり取りができない」ということです。
週1回のK社との定例ミーティングでは、先方の出席者は情報システム部門の担当者のみ。
あなた
『弊社パッケージでは見積作成機能でこのような業務フローを前提としています。
御社の業務フローとのギャップはありますか?』
K社情報システム部門担当者
『社内で現場の営業部門に確認するので、課題管理票に追加しておいてください。』
そして、翌週の定例。
あなた
『課題管理票の13番の件ですが、ご確認いただけましたでしょうか……?』
K社情報システム部門担当者
『ちょっと社内確認が遅れておりまして……引き続き弊社の宿題とさせてください。』
こんな調子で、K社持ち帰りの宿題事項が増える一方です。
2ヶ月で予定していた要件定義工程が1ヶ月を経過したところですが、あと1ヶ月ではとても終わりそうにありません。
(このペースだと、要件定義工程は遅延しそうだな。)
(でも、K社の現行システムは保守終了日が決定しているから納期は動かせない。)
(となると、設計工程以降にしわ寄せが来て、デスマーチ直行だ……。)
あなたは会社のデスクで、深い溜息をつくのでした。
すると……背後から誰かに肩をポンと叩かれました。
あなたは、背筋をピンと伸ばしました。
『今週末な、前の職場のゴルフコンペなんだけど、K社さんの案件どうだー?』
『K社CIOのYさんも参加するから、先に進捗を聞いておこうと思って。』
『いやいや、そんな大きな溜息ついてる奴の案件が順調な訳ないだろー。』
『何か問題が起きてるのか?』
あなたは要件定義が始まってからの1ヶ月の状況をS社長に説明しました。
『わかった。』
『じゃ、俺はゴルフコンペに向けて「打ちっぱなし」に行くから先に帰る。』
『お前もあんまり遅くまで残ってるんじゃないぞー。』
(何が「わかった」だよ。会社にいる時だってゴルフの素振りしかしてないクセに。)
あなたはオフィスを出て行く社長の背中を見送りながら、つぶやきました。
「本当に『使えない』社長だなぁ……。」
そして、週明けの月曜日。
あなたが出社すると、K社の情報システム部門担当者からメールが届いていました。
そのメールには、課題管理票が添付されています。
(いつもはこちらから依頼しないと送付してくれないのに、珍しいな……。)
課題管理票のファイルを開いたあなたは驚きました。
溜まっていたK社の宿題事項が、ほとんど「回答済」となっていたのです。
他にも提出を依頼していた様々な資料がメールに添付されていました。
(これだけ資料が揃えば何とかスケジュール通りに進められそうだ。)
(でも、いきなりどうしたんだろう……? もしかして社長が……?)
そこへS社長が出社してきました。
『ま、そんなところだな。』
『K社は組織が大くなり、「縦割り」が進んで部門間の風通しが悪くなっていた。』
『Yさんもそれを問題視していたから、このタイミングで雷を落としたそうだ。』
『いや、その逆だな。お前はもっと早く俺を「使う」べきだったんじゃないか?』
『お前から見たら俺は社内でゴルフの素振りしかしてないように見えるだろうが。』
『ともかく。』
『上司にしか出来ないことがあるんだから、それを見極めて、適切なタイミングでエスカレーションするのが「部下の仕事」ってもんだろ?』
『まあ、Yさんがゴルフコンペで優勝して「ご機嫌が良かった」のも大きいが……。』
『俺は、2位だった。』
『18番最終ホール。俺が1位で、Yさんが1打差の2位。』
『俺がパットを決めれば優勝、というところで、力み過ぎてボールが池ポチャ。』
『そして、Yさんの優勝が決まった。』
『そんな訳ないだろ、まだまだ俺も素振りが足りないってことだ。』
『じゃ、この案件は引き続きよろしく頼むよ。』
社長はそう言い残して、持っていた傘を振りながら、社長室へ消えていくのでした。
自分がピンチになっても、上司はちっとも助けてくれない……。
そんなあなたへ送る言葉が、東京急行電鉄(東急)の事実上の創業者・五島慶太の名言です。
自分より偉い人は みんな利用しなければだめだ。
自分より偉い人を思うままに働かせることが
事業成功の秘訣だ。五島慶太(1882-1959)
五島慶太とは?
五島慶太は、大正から昭和に掛けて活躍した事業家で、東京急行電鉄(東急)の事実上の創業者として知られています。
1882年に長野県の農家に生まれた慶太は、次男であったため大学への進学が許されませんでした。
学業に対する向上心が高かった慶太は働きながら学費を貯め、1902年には東京高等師範学校(現・筑波大学)へ入学、卒業に英語教師として三重県の学校へ赴任します。
その後、東京帝国大学(現・東京大学)へ再度入学し、卒業した時には29歳となっていました。
卒業後は、家庭教師をしていた頃の縁で、加藤高明(後の総理大臣)の紹介で農商務省へ入省し、その後、鉄道院(国土交通省の前身)へ転属します。
この頃の慶太のエピソードとして、「課長心得(課長代理)」という肩書であったにも関わらず、「心得」扱いが気に食わず、稟議書にサインする歳には常に「心得」の字を消していた、という話が伝わっています。
1920年には鉄道院を退職し、武蔵電気鉄道(東急の前身)の常務に就任します。
慶太は、阪急グループの創業者である小林一三の手法を参考に、東急東横線の沿線に渋谷の東横百貨店を始めとした商業施設や娯楽施設を作り、慶應義塾大学・東京都立大学・学芸大学の誘致を進めるなど、沿線の付加価値を高め、安定した顧客需要を作り出すことに成功します。
また、慶太は積極的にM&Aを推し進め、「強盗慶太」というあだ名が付けられる程でした。
一時期、東急グループの傘下には、京浜急行電鉄(京急)・小田急電鉄・京王電鉄・相模鉄道(相鉄)などの私鉄を合併し、「大東急」とも呼ばれています。
1944年には、東條英機内閣の運輸通信大臣に就任しますが、終戦後の1947年にはGHQにより公職追放者指定を受けることになります。
公職追放を解除された慶太は実業家として復帰すると、死の直前まで数々の企業買収を繰り返すのでした。
慶太はこのように強引な事業展開を進めたことで知られる一方、企業再建や都市開発において、その構想力を高く評価されています。
まとめ
「上司が使えない」という言葉は、サラリーマンであれば、誰でもきっと一度は口にしたことがあるでしょう。
しかし、部下と違って上司は、意識的に「使おう」としない限りは、なかなか自分の仕事を助けてくれないものです。
もちろん、単に「忙しい」「時間がない」という理由で自身の仕事を上司に仕事を振るというのは、正しい使い方ではありません。
自分の知識や経験では、どうしても理解できない問題を抱えた時。
自分の分掌や権限では、どうしても決断できないトラブルが発生した時。
それが上司の「出番」です。
上司に仕事をお願いする時は、以下の3点が大事となります。
- 「なぜ自分には出来ないのか」を明確にする
- 「なぜ上司であれば出来るのか」を明確にする
- 「上司が動いたことで、どのような結果となるのが望ましいか」を明確にする
まず、1. についてですが、上司へ何かを依頼した時に「じゃ、自分でそれやれば?」と言われてしまうようでは、本末転倒です。
予め、自分自身ではそのタスクを実行できない正当な理由を考えておきましょう。
とは言え、あまりに「できない理由」を並び立てて話をするのは、「できない部下」と見られる懸念があるので気をつけたいものです。
次に、2. についてですが、いくら上司とは言え、自分が出来ないことを何でも解決できる訳ではありません。
少し考えて、「これは上司でも出来ないな」と思ったら、おそらくその課題には、きっと別の解決方法が隠れているはずです。
その場合は、何かを代わりにやってもらうのではなく、解決の糸口を探すための相談に乗ってもらうようにしましょう。
最後に、3. についてですが、おそらく上司は、あなたが抱えている課題やトラブルについて、あなた以上には詳しい状況を把握していないはずです。
ですから、情報共有が中途半端な状態で依頼すると、却って状況が悪化することもあるので気をつけましょう。
上司から「解決してきたぞ」と言われて、その内容がトンチンカンだった場合は、上司のメンツを潰すことにもなりかねません。
上司と部下。
お互いがお互いを上手く「使い合う」ことで、プロジェクトを円滑に進められるのが理想的ですね。